2017年1月22日日曜日

第14 長井長義邸での運動会

長井博士の麦酒会
薬学雑誌 224号1073頁,1900(明治33年)東京地区通信欄

タイトルは運動会ではなく、麦酒会である。
例年のごとく10月6日青山の邸内にて開かれた。

「招待者は大学、陸海軍、衛生試験所の学士、技術官および屈指の実業家等、無慮六十余名。邸園内は色旗紅燈を以って飾られ、樹下に恵比寿ビール数樽を開き、会衆随意の快飲に任せ・・・・」.

木の下にビール樽を並べ、「開く」というのは、ふたを空けて飲んだのだろうか。気が抜けて美味しくないだろうと心配するが、冷蔵庫のない時代、また、ビールが今より珍しい時代、たいそうなご馳走であったのだろう。

2時を告ぐるや丹波博士,高橋(秀松)学士の指揮により運動に着手せり。
長井氏らの徒歩競争に始まり、戴嚢競争,一脚競争,提灯競争,スプーン,盲旗,徒歩2回競争,二人三脚,盲球,障害物,綱引き・・・・ .

半白頭、洋燈(ランプ)頭の博士学士連に至るまで一人も余さず競争をなし、あるいは徒走中途にして転倒、泥濘に「ツボン」を汚し(まだ袴が多い時代の貴重な洋服)、あるいは半途提灯の火を消し失望背走するものあり.(略)

4時頃、遊技終了するや賞品を笑声の裡に授与,洋食の饗応あり。散会せしは点燈の頃にて、折しも雨脚霏霏として、濡れ鼠の如くなりしものありしはこれのみ遺憾なり。

なお,入賞賞品にはタイトルがついていた.
「危篤の病人」は、牛脂が1升(九死一生,受賞者は山田董),
「最も需要多きろ過器」は、味噌こし(慶松勝左衛門),
「盲人の金貸し」は、氷砂糖(高利座頭,中村瀧次郎),
「妻君なき人」は、イチジク(無花果,むかか,長井氏息アレキサン),
「新しい空気」は、新しい茶碗と箸(食ふ器,丹波敬三),
「頼山陽の名吟」は、芫青(ゲンセイ:カンタリジン含む生薬)を36個(=4x9)(鞭声粛々・・・,近藤平三郎),
などだ。

このとき長井先生は55才。
渋谷駅のそば、今の薬学会館の場所に、屋敷地は9000坪あった。

0 件のコメント:

コメントを投稿