2017年4月14日金曜日

第47 大国主命ゆかりの秘泉の化学分析

オオクニヌシノミコトの霊泉の成分

薬学雑誌 1889年度11月号841頁 93

本会会員須田勝三郎が明治22年、八雲たつ出雲の国に出張したときの話。

島根県飯石郡頓原村に霊泉舎という会社というか商店があった。
湧き水を東京大阪に出荷、よく売れているという。
須田が聞けば

「この天然炭酸泉は往古、大国主の大神が頓原村琴引山の岩窟に鎮まり座して二絃の琴をつくり、その麓にて耕作の業を始め玉ひしとき、塩ヶ口(注:地名)の巌石間より湧出する霊泉を発見せしめ玉ひ、大神これを以って神体を清め玉ひて、懇ろに衆庶の疾苦を救はせ玉はんとのご託宣あり。即ち我朝の医祖、薬師神の教へなれば、諸病に効験あること疑ひなし」。
また、世俗の塩をもって清むるは、この泉を浴して清めたことから始まったという。

「然るに惜しむ哉、中古より未開の風習にて之に触れば神罰を蒙ると唱へ、接近するもの絶えて無かりしときに、頓原町、高木茂五郎、一日思ふに斯くのごとき霊薬を空しく流出せしめ衆庶その沢に浴する能はざるは実に嘆かわしきことなりとて、その成分と効能を知らんと欲し、明治13年神有月(注:出雲!)、県庁を経て内務省大阪司薬場の試験を受け、諸病に効験あるを証明せり」。

つまり、売り出すにあたってお上の分析によるお墨付きがほしかったのである。
そして明治21年再び精密分析を依頼した。
結果、泉水は1リーテル中3.0625グラムの固形分を含むアルカリ性炭酸水で、無機塩11種の含量が示されている。

この分析データを我々が見たら、まったく有難味を感じない。全国どこにでもある温泉、湧き水だと思う。
しかし当時はまったく違った。
ただの塩(シオ)ではなく“格魯児化那篤(0.796g)”と書かれ、他にも謎めいた“重炭酸那篤(1.896g)”(NaHCO3)などと来られたら、特別な水と感じたことだろう。

有機化合物の医薬品などはなく、野の草を煎じていた時代なのだ。
霊泉社はこの結果を喜び、さらに炭酸を追加して出荷した。胃カタル、子宮病、神経病、結核まで効くという。

薬学昔むかし
 

 

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