2017年4月15日土曜日

第49 陸軍/習志野衛戍病院の風呂水検査

薬学昔むかし 浴場汚度の検査
薬学雑誌 1902年度1185頁(明治35年)

昔は達者なものが皆感染症で死んだ。
サルファ剤、ペニシリンは戦中、戦後である。つまり明治は病気を治す薬が事実上なかったと言っていい。

ただし病原菌は19世紀から知られていたから、近代の医学薬学で最も重要なものは消毒とか衛生だったに違いない。環境をきれいにするということは、細菌説以前の瘴気説(激しい臭気は病を引き起こす)とも合い、皆受け入れた。日本でも禊やお清めで邪悪を祓う習慣があったから清潔は受け入れやすい。というか病を避けるにはこれしかなかった。薬で意味があったのは消毒薬くらいだろう。

だから文部省医務局長、東京医学校校長を兼務した長与專齋は、海外の衛生行政を中心に視察したし、柴田承桂もベルリンで化学をミュンヘンで衛生学を修めた。丹波敬三はベルリン府衛生局で実地研修に努め、日本の薬学に衛生裁判化学を導入した。田原良純も東京「衛生」試験所所長である。

当然薬学雑誌も今と違って衛生関連のものが多い。
著者の高松米次郎は、清潔にすべき風呂の汚染が衛生上決して看過し能はざるなりとして、習志野衛戍(えいじゅ)病院で実験したのがこの論文。

1人用の据風呂(170L)に労働せざる男子が1人、3人、5人、また3人用の箱風呂(421L)に患者10人、30人、湯を汚さぬよう(中で体をこすらぬよう)入ってもらい、この5種類の風呂水について、臭気、清濁、色、Cl、硫酸、燐酸、アンモニア、有機質、固形分総量、浮遊物、細菌数を調べた。

臭気は5人浴で稍アリ、10人浴で不快、30人浴で甚シ。細菌も5人浴から検出され、30人浴で1ccあたり3800個。「30人浴はその景況あたかも希薄汗液、希薄尿液を髣髴せり」と尿の分析値を参考に上げている。銭湯は30人浴より汚かった。

「いっぱい入ったら汚くなるのは当然じゃないの? わざわざ2回実験して測った値だって絶対じゃないから意味ない」というのは現代の発想である。まだ科学が幼稚だった時代で測った人もいなかった。

彼が丁寧に「10人ないし30人浴は温度上昇せしため試験中20リートルの冷水を注加せり」と書いているのも「研究」の現場が目に浮かんで面白い。昔は薪で沸かしたから温度コントロールが難しかった。

習志野という地名は、ただ一人の陸軍大将西郷隆盛が明治天皇とともに観閲した大演習の後、命名され、その後陸軍関連施設が集まった。今も習志野駐屯地がある。
習志野衛戍病院は、戦後、国立習志野病院、現在は千葉県済生会習志野病院となり、隣には東邦大、日大などができた。


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