2017年5月23日火曜日

第21 人体を材料とした薬

薬学雑誌1902年度(明治35年)256頁など

当時,全国各地で墓が暴かれ生首が売買された.
黒焼きが梅毒の特効薬とされたのだ.
明治35年は東京でも大阪でも人頭黒焼き売買事件があり,この様子が薬学雑誌大阪地区通信(P194)にある.

「ずいぶん素人の間にて喧伝するも道修町側には馬耳東風に付せり.しかる所以は幕政時代はともかく今は泰西薬物の需要盛んにして,かかる素人向け薬品を取引する輩はきわめて下層の薬種商に限り,これらは常に別視する仲間なり」

しかし長い間バイブルであった明の李時珍による本草綱目は,薬物を材料別に分類して全52巻,この最後の第52巻は人部として,ヒト由来の医薬品を扱っており,明治時代は漢方医も庶民も信じていたのである.
日清戦争では大陸で人胆の製造で大もうけした業者もいた.

西洋科学を信奉する日本薬学会会員は迷信とみて相手にしなかったが,忌避するあまり知識のない読者もいたのだろうか、翌3月号(P256)には4ページにわたって人体を材料とする漢方薬について本草綱目の解説が載った.

生首の黒焼きは天霊蓋という.
頭垢,歯垢,胆石,淋石,人糞,人尿,人精,陰毛,人勢(陰茎),紫河車(胎盤),紅鉛(婦人月水を乾固したもの)など37種.

その3ヵ月後の薬誌,愛媛県の地区通信(P620)は,
「・・密売し,また薬種商に販売せしこと発覚し5月30日その筋において墳墓発掘に対しては重禁固1年6ヶ月罰金10円,人頭骨を他の薬剤に混し密売したるは売薬規則違反として罰金30円に処せられたり」
しかしその後も、薬を作る目的で,福島(明治40年),三重(明治41年)で墓が暴かれた。

江戸時代は何の問題もなかったのが法律制定で一転,犯罪となり新聞沙汰になっただけで,生産者も消費者もなんの悪びれたところがない.
気味が悪いというのは現代の健康人の感覚である.効く薬がほとんどなかった頃は皆,神仏迷信に頼るしかなく,必死な者は何とか金を工面して自分のため愛する者のため,不治の病の「特効薬」を手に入れようとした.

なおP256の記事は日本薬学会常議員,ジャーナリストでもあった岸田吟香(洋画家岸田劉生の父)の述,P194の大阪地区通信を書いたのは、飛行機研究家でもあった大日本製薬の支配人、二宮忠八である.


メモ  
天靈蓋
明治35年 奇々怪々な黒焼剤にまつわる生首売買事件
「生首売買事件東京に起こらんとす」という新聞記事で,当時の社会にかなり大きな衝動を与えた怪事件があった.当時の新聞によると,「古来薬品として人体の一部を黒焼きにして,霊天蓋,人胆,天粉,天末,人油などと称して売買され,死刑に処されしものの頭蓋骨は,これらの原料として公売していたが,明治3年4月にこれらの禁令が発布され禁止されたにも拘わらず,これらの薬品は以前売買されている.日清戦争の際に彼地にてこれを製造し,あるいは人胆で巨利を得たものありと伝えられており,その余波は越中富山に及び,反魂胆本家として有名な薬店も家宅捜査を受け,それにより9個の天印を発見し,調査により東京より買い入れたことを確かめた」(東京日々新聞)とある.警視庁は調査を進めた結果,天粉,天末,人油等の死体を原料として製造した薬店が,東京市中の至る所の薬店で売買していることをつきとめた.しかし細末として販売しているため,それが人の生首から製造されたのか判明しなかった.とにかく生首が売買されたことは事実で,奇怪な事件として,当時異常な衝動を与え,当局でも厳重な取締をしたが,その需要は絶えないということであった.
(出典:http://www001.upp.so-net.ne.jp/yokai/meijiryoukishi2.htm)


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