2017年10月22日日曜日

第80 日本薬学会の誕生秘話

日本薬学会の創立は本当に明治13年か?(上)
薬学雑誌 1910年度(第340号) C1-42

薬学会の創立はいつか? 
本会ホームページには
「明治13年(1880年),日本薬学会は我が国では最も古い学会の一つとして誕生しました.」と書いてある。
本当だろうか?
ちょっと疑ってみよう。
現存する薬学雑誌の古いバックナンバーを使って調べてみる.

しかし薬誌の創刊号(明治14年12月)は長輿専齋,長谷川泰の祝詞のほかは学術論文のみ。以後の号も学術記事と会員への通達ばかりで,その1,2年前という会の創立に関する記事は一切書かれていなかった。
諦めかけたら薬誌1910(明治43)年6月号の付録に「日本薬学会沿革史」というものがあった.30年後とはいえ創立メンバーの多くが存命中の公式記録であるから,信ぴょう性は高く、かなり期待してよい.

すでに明治43年の日本薬学会は医事,衛生,化学,博物の諸科にわたって会員2750余名を有する大規模学会に成長していた.
しかし沿革史によれば,明治13年創立当時は,東大本科の同窓生30人(明治11年,12年の卒業生19人中17人,在校生15人中13人)より成る些々たる小集団に過ぎなかったという.すなわち

「明治13年1月,在京の製薬士,神田明神境内の開花楼に会して新年会を催す.酒酣(たけなわ)なるころ某氏発議して曰く.我が徒,同窓多年その交,水魚啻(ただ)ならざれども一たび業を卒へて校舎を去るの日は一別東西,容易に相見ること能はず.年処悠久竟(つい)に呉越の疎情を生ずるに至らんことを恐る.宜しく今において情誼を永遠に保持するの策を講ぜざるべからず.その方法の一端として今より定期の親睦会を設くべし.」

満場一致これを賛成し,翌2月第4土曜日を卜して各自会費15銭を醵(きょ)し,神田仲町福田屋に親睦会を開いた。これを第1回とし,以来毎月集まっていたのだが,親睦以外何も目的がなかった.初めの頃こそ談笑囲碁の間に多少の交歓の楽しみもありしなれ,会を重ぬるに従い興味衰え,晩秋には会する者わずか3人になってしまった.

沿革史によればこのまま明治13年は終わってしまうのである.
創立というには少し寂しい一年ではないか?
しかし沿革史はこの話から始めている。なぜか?

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