2017年10月7日土曜日

千駄ヶ谷、鳩森神社の富士塚

7月、股関節のスジを傷めてダンス中断、9月にダンス再開、ようやく競技会に出られるようになった。
10月7日、千駄ヶ谷の東京体育館、DSCJのB級戦、29組中12位に終わった。

敗退したら、さっさと会場を出る。
隣の国立競技場を見に行く。
前回は穴を掘っているだけで建造物はなかったが、もう観客席の形ができてきた。

負けた疲れから、工事現場をみながら信濃町まで散策する気になれない。
反対方向に歩き、以前から気になっていた鳩森八幡神社を初めて訪ねた。
ずっとハトモリと呼んでいたが、正しくはハトノモリというらしい。

昔、青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然多くの白鳩が飛び立った。そこで村人は小さな祠をつくり鳩森(はとのもり)と名付けたが、ご神体がほしく、その後、神功皇后・応神天皇の像を作り添えて、八幡神社としたという。
御神木のイチョウ。
昭和20年5月、本殿はじめ多くのものが焼けた空襲に耐えた。

うしろの赤い鳥居は甲賀稲荷神社。
青山練兵場を作るときに、移されたらしい。
ここは富士塚が有名
前方に池というのは基本様式だったらしい。


雨が上がった登山道を頂上まで。
山を作っている石は明らかに千駄ヶ谷にはない。
溶岩が固まった石である。
富士講で実際に行った者たちが、担いで持ち帰ったのだろう。重いものほど褒められたに違いない。

写真右下に写る赤い服の小学生、私が頂上にいた時は遠慮して、私のあとで上っていった。

能楽殿
ガラス張りであった。

隣に将棋会館があったので、神社を後にする。
こちらのほうが正門だろうか。


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