2018年2月22日木曜日

第56 19世紀末、世界のコレラ事情

明治25年、虎列刺(コレラ)の解説記事
薬学雑誌 1892年、p1150-1154

明治に怖れられた伝染病としてペストとコレラが思い浮かぶ。
同じカタカナ3文字。両方とも細菌が媒介するが、両者はかなり違う。

ペストは、6世紀のローマ、ユスチニアヌスの疫病や、14世紀の黒死病(ヨーロッパ人口の3分の1が死んだという)はじめ、常に文明社会とともにあり、人類を脅かしてきた。ペストを表す英語、pestilence あるいは plague には、疫病という意味もある。つまり疫病・イコール・ペストであった。
ところが日本では1899年に初めて入って以来、ペストは最終患者の出た1926年までわずか2420人しか死亡していない。島国であることに加え、患者が出れば徹底してネズミを駆除したというのが大きいだろう。東大病院で弱ったネズミが発見されただけで校舎を焼却した話を以前書いた。

一方、コレラは意外と新しい。
ガンジス川デルタの風土病だったものが、世界的疫病になったのは、19世紀になってからだ。1854年にはイギリスのスノウが、コレラの犯人として、瘴気ではなく飲み水を指摘した。それでもコレラは、患者の下痢便からどんどんうつった。
明治の日本は、2、3年間隔で数万人単位の患者が出て、1879年と1886年には死者が10万人を超えた。コッホによるコレラ菌発見は1884年である。もちろん治療法の発見はずっと後だ。

世界史の上ではペストのほうが圧倒的だが、日本だけに限ればコレラのほうが猛威を振るった。

明治25年11月号の薬誌は、各国のコレラ事情を紹介している。
それによると、この1892年は9月までにロシアで16万人、欧州ではハンブルクの7000人を含む4万人が死亡したらしい。アメリカは「コレラバチルス」の汚染が心配ということでチーズや甘草などの生薬の輸入を禁止した。

ワクチンの研究も始まっている。
1885年のスペインの研究は失敗したが、本記事でも加熱(40.5度3日間または70度2時間)した菌が動物を免疫したという報告を紹介している。

さらに、過去の「奇なる虎列刺療法」という記述もある。
1832年の世界流行のとき、米国の医師は患者の肛門にコルクを栓し、英国の医師は、1分間に80-100回のシーソーをさせたという。
笑うなかれ。真相は不明だが、これらは肛門を閉め、米のとぎ汁のような下痢を防ごうとしたのではあるまいか。

コレラは脱水が直接の死因である。
抗生物質を与えなくとも水分補給がかなり有効で、1970年代に開発された経口水分補給療法(ただの水、糖、塩)は発展途上国での患者死亡率を50%から1%以下に変えた。
つまり水分補給さえしっかり行い静かにしていれば、あの虎の化け物のような恐ろしい病でも死ななかったのである。
エーザイ薬博物館所蔵

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